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2023.05.14
漫画、最初のコマ。ドレスを着たイグアナの肖像画が壁に飾られている。「グリーンイグアナのガラちん、またの名をガラチン・モロへ・イヤスキー」。美食家。「夏季に出回るモロヘイヤは彼女の主食の葉っぱになります。」※時期を過ぎたモロヘイヤの毒には気をつけてね。
次のコマ、ご飯中のガラちん。「またの名をユデタ・カボチャスキー。葉っぱに混ぜてやるがカボチャだけ選り好んで食べようとする。」「またの名をキザミ・オオバスキー。トッピングすると食い付きが良い。香りが食欲をそそるよね。わかる」「またの名をウスギリ・オ・クラスキー。モロヘイヤ然り意外と粘り気のあるものも好きなのかな?」(終わり)

ガラちんは出身地がエルサルバドルなので、肖像画には民族衣装を着せて描きました。情熱的な雰囲気のガラちんです!

初出:note.com 2021年7月9日 15:29 https://note.com/satomami/n/nc6209ce0ee8c

2023.04.16
グリーンイグアナガラちんプロフィール。体長120cm,おとなしいメス,ごはんは野菜と果物,事故で腰を怪我している,2008年10月生まれ,爪や牙やサルモネラ菌を装備している。

初出:Note(https://note.com/satomami)2021年7月7日

2022.12.15

以下の記事は映画のネタバレを含みます

「あのこは貴族」という映画をNetflixで視聴した。公開から2年近く経っているがトレーラーが話題になっていて、私が好きな「東京女子図鑑」のような映画を期待して観た。「東京女子図鑑」は女性同士のマウントや地方出身者の東京コンプレックスといった価値観をゴシップ感覚で描いている作品で、そんな飽き飽きするような俗っぽさの中に(ここでは詳しく書かないけれど)私にとって強いエンパワーメントや成熟がある作品だった。そして結果的に印象は違ったけれど「あのこは貴族」も素晴らしい作品だった。

本作の主人公は控えめな良家の箱入り娘でとても口数が少ない。親族の前でくさくさすることがあってもジャム瓶に指を突っ込んで舐めるくらいのグレ方しか知らず、大衆居酒屋に連れ出されれば汚れた便所に言葉を失って逃げ出したりする。華子は普通に生活していたら私と友達になりえないような人物だと思う。でも私はいつのまにか感情移入してしまっている。華子を取り囲んでいる古風な価値観、女性の役割や立場を押し付けてくる息苦しさがこちら側ともシームレスに繋がっていて、黙ってしまう華子も私も、ずっしり重たい石になってしまったように感じる。

もうひとりの主人公と呼べる美紀という女性は田舎から上京して苦労をしてきている。上京したては幼く頼りなげな印象だったが、華子と出会う頃には地に足がついた快活で華子とは対照的な話し方をしていて、美紀の部屋を「全部美紀さんのものだから」と羨むような様子の華子に「どこで生まれたって最高って日もあれば泣きたくなる日もあるよ」と語りかける。

立場の違う二人が引き合わされるプロットの理由はこの会話がそのまま表していると思う。とても感銘を受けたので、少し回りくどくなってしまうけど説明を書きたい。

2021.05.18

前置き
5年前に「現アラサーが小学6年生から大学半ばまでロリィタだったころのこと話すね」という文章を書いた。ロリィタファッションを愛好していた時期を振り返ったその文章を読み返してみたら、もうさっぱり覚えていない情報ばかりで面白かった。まだおぼろげにでも記憶が残っているうちに書き留めていて良かったと思った。
かなり雑に書かれているし、自分の過去を精算したいがためにかつて傾倒していた文化や作り手を貶すような表現もしていたことに気づき反省した。

長いロリィタファッション遍歴に終止符を打った理由を「かわいいものに悶え苦しむのがもう辛くて脱しようと思った」と淡白にしか表現できなかったことを懐かしく思った。今はもう少し具体的に表現できるが、今度は忘れていく一方だと思うので書き出してみる。
尚、他のロリィタちゃんの共感は得られないと思う。一個人の話である。

シンディ・ローパー

子どもの頃に観たものまね歌番組にシンディ・ローパーのそっくりさんが出ていた。特徴だけ安っぽく誇張されていて、そのディーバのこともカリスマ性も知らない幼い私の目に奇天烈に映った。

2020.07.24

ヴィーガンへの疑問を解消してくれるコンテンツたちです。
前置きなしで衝撃的な映像が流れるものはありませんので、疑問に感じる項目があったら見てみて下さい。

・動物愛護法もあるし家畜は人道的に扱われているでしょ?と思ったら
海月ダンテ「僕が肉をやめた理由」
https://youtu.be/afslXouRbL4

・牛乳や卵は動物を殺してないから食べてもいいでしょ?と思ったら
[乳]Still a Vegan – Twitter(バンクーバーで撮影したアウトリーチ)
https://twitter.com/_stillavegan/status/1108462805403996160
[卵]海月ダンテ「僕が卵を食べない7つの理由」
https://youtu.be/L_hxXrqSHT8/

・動物性食品は健康のために必要なんじゃないの?と思ったら
「ゲームチェンジャー: スポーツ栄養学の真実」
https://www.netflix.com/title/81157840
※ゲームチェンジャー予告編
https://youtu.be/TR2qThPn8eE/

・ヴィーガンになって体を壊して辞めた人も多いんでしょ?と思ったら
海月ダンテ「ビーガンって危険?彼女がやめた理由」
https://youtu.be/hmKIM1BUY5w/

・どうして植物なら殺していいの?と思ったら
「ビーガンFAQ:#プランツゾウ」
https://therealarg.blogspot.com/p/blog-page_26.html

・肉食は動物もやってることだし自然の摂理でしょ?と思ったら
「講座 あにまるえしっくす コラム5 自然なことはよいことだ?」
https://www.pixiv.net/artworks/82361118

・何を食べるかは個人の価値観だから押し付けるのはおかしいでしょ?と思ったら
「講座 あにまるえしっくす 第2回:道徳なんて人それぞれ?」
https://www.pixiv.net/artworks/79960371

・世界人口の飢餓を優先して解決すべきでしょ?と思ったら
Still a Vegan – Twitter(ハンバーガーと環境問題の関連性とは?)
https://twitter.com/_stillavegan/status/1277454510303182851

・新型コロナウイルスでそれどころじゃないでしょ?と思ったら
ヴィーガン エリー「新型コロナウイルス 人類の課題をヴィーガンとして考える」
https://youtu.be/uMLN9yae2GI/

※内容の変更・更新の予定ありです。

2019.04.21

2007年に私が、今後一切肉を食べないことを決意したきっかけは、海外にベジタリアンを実践している人が大勢いると認識したことだった。彼らはお肉を食べなくても健康上の問題がない。お肉は嗜好品でしかないのだと知った。お肉を必要としない彼らはカッコよく、食べたいから食べる自分の欲望が卑しく思えたのだった。

それから今年(2019年)になって卵や乳製品も食べず、毛皮や革製品も買わないヴィーガンになるまで、かなりの時間を要してしまった。これには勉強不足の占めるところが大きい。

知識があれば、植物性の食品だけで、より健康に生きられることが分かるし、美味しいヴィーガン料理を作れる。そして動物がどれだけ凄惨な目にあっているかを目の当たりにする。何より、ヴィーガンは怖い人たちではないのだと知った。

ヴィーガンになったことで感じた後悔は、他のヴィーガンの方も言っていたが「もっと早くヴィーガンになれば良かった」ということだった。
この後悔は誰にもしてほしくないと思う。未来のあなたが動物の犠牲に心を痛めるようになっても、犠牲は取り戻せない。

2018.01.23

子どもの頃、家畜や魚は「残さず食べてあげれば喜ぶ」のだと親に教わった。
豚さんが可哀想だから食べたくない、と子どもに食卓で駄々をこねられたら、さぞ面倒だっただろう。
私はそのときその言葉を受け入れたが、知性が育ったいまは、どうして「喜ぶ」のだろう、と問うことができる。

TV番組「ザ!鉄腕!DASH!!」の1月21日付けの放送で、要注意外来生物であるイグアナを捕獲して食べていた。
Twitterでは「動物に罪はないけれど、番組では骨の髄まで残さず食べてくれたから報われる」というような意見が多く投稿されていた。
その意見には同意するし、番組に批判は無いのだが、私は常々思っていたことがある。それは「残さず食べればよい」という論は、しばしば「動物が可哀想」という気持ちと、自分が「動物を食べたい、食べるのを辞められない」という相反する感情に蓋をするために使われていないだろうかということだ。「いただきます」という感謝の言葉を免罪符にして、思考停止していないだろうかと。

飽食なのに、イグアナをわざわざ食べる必要はないのかもしれない。人間に食べられても、あるいは、ただ殺されるだけでも、イグアナにとってはどちらでも良いのかもしれない。
自分の罪悪感を和らげるためだけの感謝になっていないだろうか、と自問することは、普段あまり無いように思う。

「いただきます」の裏に、現実では、目を逸らしてはいけない問題が多くあると思う。
野生とはほど遠い環境に置かれ、虐げられている動物がいる。
一生を拘束されて生きる生き物や、痛みつけられて殺されていく生き物がいる。

同日の「ワイドナショー」の放送で、ロブスターを生きたまま煮沸するなど、自然ではない痛みを与える調理法を禁止する法律がスイスで決まったというニュースが取り上げられた。失神させてから調理することが義務付けられたそうだ。
甲殻類は人間と同じように痛みを感じる器官があるという研究結果を私は以前から知っていたので、妥当なことだな、と思っていた。
ニュースが読み上げられた後スタジオが失笑するのを見てとても驚いた。
「そもそも食べなければいい」「欧米の価値観だから仕方ない」「日本には関係のないことだ」「日本の踊り食いの文化を否定することだ」「そんなことよりも人間を先に助けるべきだ」などの批判の声が上がっていた。
私はせめて「日本とは価値観が違うけれど、考えさせられるニュースだ」くらいの肯定はもらえるものだと思っていた。ショックで体が震えた。

どのように生きてどのように死ぬのが適切なのか?それは私は知らないしまだ分からない。ただ、だから、何が他者にとって残虐なことなのか、想像力を巡らして、考え続けたいと思っている。

人間はこれまで、他者の痛みへの想像力を広げることによって差別をなくしてきた。
もちろん感情移入を広げ過ぎれば、植物さえ食べられなくなる。差別撤廃が新たな問題を生み出すことだってある。それでも、感覚を麻痺させてはいけないと思う。
少なくとも、ロブスターの権利を考えたスイスは思考停止していない。「欧米の価値観」だからではなく、我々の、他者の人生への想像力が未成熟なのではないか、と問いたい。

2017.05.04

sony α7Ⅱを買いました

α7ⅱユーザーになったよ #α9なんて買えない #α7ii #バッグの中身

Mami Satoさん(@satohmami)がシェアした投稿 –

赤いストラップはDIAGNLの ニンジャストラップ の別注モデルです。

レンズを下に向けたい

ニンジャストラップと一緒に買うのが定番っぽい、カメラストラップバディという製品を購入しました。


Camera StrapBuddy – amazon

これで何ができるかというと、
カメラストラップの片側を三脚穴に取り付けることで、カメラのレンズが下を向くかたちになり、どこかにぶつけてしまう心配が無くなります。

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今は短いレンズしか持ってないけどね!

カメラストラップバディの気に入らなかったところ

  • カメラを置いたときに安定しない
  • 取り付けにコインが必要で三脚との併用が面倒
  • 赤いレバーを回すだけで簡単に外れてしまう

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心配性すぎると思いますが…短いレンズだとかえってアンバランスでマウントに負担がかかりそうで気になるぅ

代わりのクイックリリースプレート

初めて知りましたがクイックリリースプレートというものがあるんですね(プレート凸とクランプ凹をそれぞれカメラと三脚に取り付けておいて、スライドなどの簡単な操作で両者をくっつけられるので、複数の機材に対していちいちネジを締めて装着する手間が省けるというもの)。

ストラップホール付きの、レバーを起こしてねじねじして取り付けができるものを買いました。
三脚にクランプも付けておけばばっちりですね

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[MENGS] PU-70H クイックリリースプレート – amazon

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(両側のネジが飛び出ているので外せばもっと安定するはず)

2016.10.18

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gara_cos-2

2016.09.27

1997年、私は憧れのロリィタの世界に足を踏み入れた。
新潟県の田舎町から通販でHeartEのストラップシューズを手に入れたのだ。Vivienne Westwoodのロッキンホースバレリーナとも違わぬプラットフォームの厚底だけど、つま先がボールみたいに丸く、盛り上がっていて断然愛らしい。サイドにいちごのパッチがついていた。
当時、フリフリしたロリィタテイストのアイテムはロリィタブランドでしか手に入らなかった。デザイナーが特別な脳みそで描き出し特別なパタンナーが形作り特別な業者に特別なルートで発注をかけて特別なルートと価格で提供されるアイテムがロリィタアイテムだった。
私は特に靴に惹かれていた。素人に成形が困難なあの形を見つめる私は、モノリスを見つめる猿。

PINK HOUSE混同、ロリィタ枯渇時代

HeartEが榎本加奈子主演のTVドラマ『おそるべしっっ!!!音無可憐さん』に衣装提供するというので見ていたのが翌1998年。子供服だったエミリーテンプルが婦人服としてエミリーテンプルキュートになったのも1998年。
マルイワンにロリィタは扱っていなかったし、Angelic Prettyはセレクトショップだった。HeartEは最初の移転する前の原宿の店舗があった。雑誌『ゴシックロリータバイブル』がムック本として創刊されたのは2000年。『下妻物語』の小説初版が2002年、映画化は2004年。



amazon.co.jp

そんなロリィタ枯渇時代の90年代末の新潟県でロリィタ道に踏み入れたのは、親の用事で東京に行って原宿の神宮橋にたむろするゴスロリちゃんを見て憧れるようになったから。
それまで私はキャップを逆さにかぶり、鼻頭にわざと絆創膏を貼って、チューインガムを膨らまして写真に写るような利かん坊の女の子だった。のちのち「かわいい」に魂を吸い取られる体質に調教されていくが、初めてゴスロリちゃんを見たときの感想は「超かっけー!!まじクール!!」だった。
小学生だったので、本当の意味でロリじゃないかと思われるかもしれないが、当時の流行からするとそうではない。
安室奈美恵が全盛期で、ミニスカートにシャギーの入ったツンツンの茶髪、日焼けサロンで肌を焼いたアムラーファッションや、PUFFYのタイトなTシャツにだぼっとしたダメージジーンスを合わせ、髪はちりちりのソバージュという格好が跋扈していた。
モーニング娘。の『抱いてHOLD ON ME ! 』が発売されるころで、アイドルだって大人っぽすぎる色気を見せていた。大人も若年層もとにかく大人びた服装をしていた。フリフリのお洋服を着ている小学生なんて本当にいなかった。

この頃に友達4人くらいでPIKOのTシャツを着て近所のカラオケ大会で鈴木亜美を歌ったのを覚えている。


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curassy.com