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去る東京ゲームショウ、すごく注目を浴びた衣装だったのに自分で写メを撮ってない!
(写メをブログに載せるのが嫌いだから)。
エゴサーチしていて(笑)、とても綺麗に撮って頂いた写真を見つけたので転載させて頂きます。
http://www.flickr.com/photos/tmizo/
さすが東京ゲームショウはカメラ持ちのほうもすごい腕前の方が揃ってますね。
他の展示会でも、撮ってくださったかたは写真(もしくはURL)下さると嬉しいです
X-D
2009年10月発売モデルの27インチiMacを使っています。
型番はG0GF0J/A。2.8GHz Quad-Core Intel Core i7です。
開かずの扉なApple製品、初めて自分でHDD交換しました。
ディスクユーティリティ情報で内臓HDDがSeagate製だったので、秋葉のツクモさんでSeagateの1TB7200rpmを買ってきた(このスペックはiMac内臓と変わらず)。
ちなみに、内臓HDDにケーブルを差してS-ATAをUSB変換できるやつ(タイムリー UD-505SA)を使ってMacに接続してみたら全然認識されない感じでフォーマットできなかった。
ググったらSeagateや海外のHDDはUSB2.0やIEEE1394変換での相性が悪いみたい?
…というお勉強を経て、ろくすっぽとっていなかったバックアップ用には日立のHDDをドスパラで買ってきました。
変換ケーブルもFireWire対応のをそのうち買いたい(なぜはじめからIEEE1394対応の外付けを買わないのか、それはかさ張るのが嫌だから、あとぼったくられてる気がするからだ!笑)。
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需要があるとは思えませんが、まったく同じモデルで日本語の説明サイトがなかったので、健忘録も兼ねて手順メモ(実際やってみて、下準備で見ていたサイト郡のどれとも細かく違っていてハラハラした)。
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用意したもの
- T8のトルクスドライバー(ひと揃い持ってるけどT8しか出番がなかった)
- 必須ではないがマイナスドライバー
- 大きいサイズの吸盤2つ
- エアダスター、ブロアー、(細かいところに入った埃やネジ対策に)付箋
- つっかえ棒
- 下に敷いて緩衝できるもの
まずディスプレイのガラスカバーを外す。強力な磁石でくっついているだけなので、吸盤を用いて引っ張る。このモデルは下部に爪があるので上方を浮かせてスライドさせて外す。
シェアハウスタイプのアパートに住んでいる。
もとは邸宅だったのを改装してあり、それはそれは広大な庭が備わっている。意匠を凝らしたデザイナーズ物件と並んでインテリア雑誌に特集されることもある。シェアオフィスとしての利便性で入居した在宅ワーカーもいる。共用部の充実がとにかく比ではないのだ。
オーナーの父親がカナダの牧草主で、アパートのほうぼうにオールドカナダな要素があり、母屋になった共用部のリビングには薪ストーブがある。部外者の入室が比較的許されている部屋でもあって冬もクリスマス近場になると誰かしら仲間と薪をくべている。
薪ストーブは暖炉やなんかに比べて慎ましい外見の割におそろしく薪をくう。我々は5月から薪を運びはじめる。
我々とは私とアパートのオーナーだ。
オーナー自ら薪の調達やらメンテナンスやらを好んでやっており、私はそれを手伝う約束を担保にカナディアンウイスキーを貰う。
今日は”薪ストーブおさめ”の日だった。
「こんなものが出てきたよ」
私が雑巾を絞って給湯室から出てくると、灰の処理をしていたオーナーが電車の切符よりわずかばかり大きい銅板をよこした。それは焼けて鈍色の、水たまりに浮いたガソリンのような斑紋ができていた。図柄が精密に繰り抜かれていて、それは海亀がいる夜の海の情景だった。三日月と亀がぽつんと砂浜に取り残されている。満月じゃないから、ただの亀かもしれない。
その線にはカリグラフィのような独特のリズムがあり、切り絵の図版か何かといったところだろうと私は見なした。そんなものがあるのかすら知らないけれど。
他にもブランデーか何かのひしゃげた蓋がふたつと、大ぶりの金属ボタンが出てきた。
「酔っ払って誰か放り込むのかねえ。仕方ないなあ」
自慰行為っぽいことを書くんだけど、小学生のころ悲しくてどうしようもなくなると「口の無い人ごっこ」してた。
一日じゅう口を開かない、それだけのルール。喋らないし笑わないし食べない、生命の営みをやめてしまった生き物になったのだ(だから何も感じないさ)、という設定のひとりゲーム。
子供ながらに毎回「このまま自分は飢え死にするんだ」と決心するんだけど、精神的に煮詰まってきて一日と待たずにタガが外れて大泣きして終わるのがお決まり。
えずきながら温かいものを食べるとまさに五臓六腑に染み渡る、ああ生きてるっていう実感した。食べてるときも誰の慰めもないんだけどね。勝手に機嫌を損ねて勝手に感動して終了する一人よがりのゲーム。
悲しくてどうしようもなくなった理由だってさしたることじゃなくて「土曜日の午後に雨が降っていてなんとなくうら寂しい心地になった」とか。 あまりある厭世観エピソードのひとつ。 『女生徒』みたいなね。『キャッチャーインザライ』みたいなね。憂鬱な子供ね。
adobeのPremiereProとか使って動画作ったよ。
「セロトニンがでない」というのがここのところ口癖で、セロセロリン♪とか鼻歌まで歌っちゃっていたので、よし歌に昇華させて動画も作ったれ〜なんて。
それだけですよ、ええ。ギャグですよ。
高層ビルのてっぺんで、紅白の縞模様の鬼のツノみたいに生えてるやつ。クレーン。あれってビルが完成したあとどうやって降ろすのか、考えたことが無かった。
一度意識するようになってからは、あのクレーンにちょっとした畏敬の念さえ覚えるようになりました。大小様々なタイプが街中に散らばっているし、もしあなたに信仰が必要ならば、現代の大仏もしくはトーテムポールとして観光してめぐるのにぴったりなんじゃないかしら。
巨像恐怖症かは分からないけれど、ぱっと開けた視界に、距離感がつかめないくらいの、今にも動き出しそうな巨大な建造物があるとなんとなく脈があがるというか、反射的に逃げられる体制をとってしまう気持ちって分からなくはない。畏怖は畏敬に繋がりますね。古来から人は怖さの由来が分からないものを「崇め」「名前をつける」ことによって克服してきた歴史があり。
最近読んだSF小説に「夜間交換機」っていうのが出てきて、この電話みたいなものは何が未来的かっていうと、ふつう人は目覚めているときに五感で情報を拾って脳内で変換するけれど、このマシンは五感を介さずに情報を交換することができるのね。使うのは寝ている間に限られて、なぜかというと、目覚めている間に五感を介さず情報が頭の中に出現するっていうのは、見当職を失うことであって、トラウマを生むことなんだよね。言葉の隔たりなく情報を交換・共有できるんだから、他国語の翻訳も必要ない未来。憧れるなあ。でもこわいと感じる人もきっと多いよね。本能的な恐怖を克服して人間は近代化してきたなんて言うけれど。