ガラちんが亡くなった
2025.06.29

4月の28日に16年間一緒にいたグリーンイグアナのガラちんが亡くなった。
年齢もあり、しばらく自力で歩かなくなっていたし 食事も排泄も手伝いが必要だった。
でも表情ははつらつとして、愛らしい目であちこち見回して、気になったら舌でペロっとして匂いを確認してみたり、室内探検を楽しんで見える様子は若い時と変わらなかった。
まだまだ一緒にいられるはずだったし、毎日付きっきりだったはずなのに、少し体調を崩したらあっという間だった。
世間的に翌日からはゴールデンウィークで、私はガラちんがもっと家で過ごしやすくなるようにDIYをして過ごすつもりだった。
楽しみを求めて旅行に行く人も多いけど、私はガラちんと一緒に家にいられるのが何事にも代え難い幸せだった。
ガラちんは3歳くらいの時に元の所有者から引き取って私が飼うようになり、それから長いこと今の住居でパートナーとの三匹暮らしが定着していた。
パートナーもガラちんのことが大好きになり、よくお互いガラちんの仕草や表情について話し、そうすると一人でガラちんに接していた時には気づけなかった仕草の意味や表情の機微を知ることがあり、よりガラちんのことを知ってガラちんの気持ちを考えるようになり、もっと大好きになった。
初めて主体的に「私の家族」だと実感を持っていた三匹での暮らしだったなあと思う。
私が辛い時ガラちんは一緒にいてくれて、優しい目に何度も救われた。
この数年の暮らしが間違いなく今までの私の人生の中で最も穏やかで幸せだったと思う。

5月4日に深大寺動物霊園で立ち会い火葬をしてもらって、お骨は家に連れ帰ってきた。
グリーンイグアナでも火葬を受け付けてくれるところはたくさんあるかもしれないけど、絶対に嫌な思い出を残したくないので、調べた結果こちらにお願いしたら、評判通りとても細やかで技術が高く、納得できるお別れをさせてもらえた。
どこの骨か説明を受けながらひとつずつお骨揚げをして、残った粉も刷毛で集めきって骨壷に収めてくれた。

それと、メモリアルキャリーというペット専用の遺体安置装置の存在もありがたかった。吸熱機能のあるボックスをレンタルするサービスで、ボックス内では遺体を数日間(遺体の状態による)安置できる。

火葬してしまう踏ん切りがなかなか付かなかったのだけど、亡くなった翌日から火葬当日までの六日間、保冷剤で包む必要もなく寝ているような綺麗な姿のまま一緒にいることができた。
時間に急かされると後の悔いに繋がることがしばしばあると思う。今回初めて知ったけれど、世の中に必要な素晴らしいサービスだと思った。

安置装置の中はガラちんが落ち着けて気に入ってくれそうなリーフ類で飾った。ベランダで育て始めた植物も、摘むのにはまだ早かったので似た切花を買ってきて飾った。もうすぐ暖かくなってガラちんをベランダで日光浴させられるようになるので、草花を茂らせて居心地よくしようと計画していて、ガラちんに見せるのが楽しみだった。

ガラちんの遺体は、私にとって愛着の詰まった容姿と、一方的に抱かれている姿から、世界一愛らしいぬいぐるみのように錯覚した。
体が思い通りにならないことも多くて苦しんだり辛かったりしていたのに、その替えのきかない大事な体を置いてどこに行ってしまったんだろう、と不安を感じた。
でも 草花に囲まれたガラちんを沢山写真に収めたり、寝室に運んで一緒に寝て、動かないガラちんに慣れていくうちに、この愛くるしい体がガラちんそのものでどこへも行っていないこと、ガラちんの体を動かしていたエネルギーは永遠になくなってしまったことを理解していった。
私たちは閉じた時間の中で、世界を知覚しているかしていないかの違いしかなく、死はなんて淡白なんだろう。すべての生き物は生きているうちに苦しみがなく幸せでないといけないと改めて思う。

パートナーのアイデアで、ガラちんのことを庇護される存在と思うのは終わりにして、師匠と捉えるようにした。
「押忍!後の世は俺たちが引き継いで行きます」というやつ。
寂しさや「たられば」をいつまでも引き摺るのとは違って、心細い時に「師匠、会いたいです」と思うくらいなら健全だと思うから。
懸命に生きて、私たちより小さな体で、多くの教えを我々に与えていった先生だった。
