地震

2011.03.13

最初の地震発生から二日が経ちました。

この土日は従事する予定だったイベントが中止になったので「ヤシマ作戦」(節電)しながら自宅にいました。

一昨日私はビックサイトにて行われた「建築建材展」の岐阜県多治見市・笠原町美濃焼振興協議会による「セラミックタイル美濃」ブースで仕事させて頂いておりました。

「美濃カフェ」というコンセプトでブースの中に設置されたカウンタースペースにてケータリングをしていました。
神谷デザイン事務所さんが手掛けた、どこもかしこもタイルで構成された空間で、お客様にお出しするコーヒーのカップも全て美濃焼でとてもおしゃれだったんですよ。
写真撮り忘れてしまいました。

割れ物を置いてるのでヒヤっとしましたが微塵も崩れることなく、こちらのブースから怪我人が出ることはありませんでした。
展示会自体が30分ほど早く切り上げになり、都内は交通が混乱したものの、私はバスと地下鉄を乗り継いで、普段の利用駅より手前で降りて少し歩いたものの順調に帰宅することができました。

帰宅しながら思ったのは、情報を持っていない人が意外に多いということ。道で出会った人に電車の運行状況などをよく訊かれました。
「ラジオを聞く場合は(バッテリーに余裕がある場合に限られますが)イヤホンで聞かずスピーカーで周囲にも流す」などの心遣いは思っている以上に有用なんじゃないかなと。
私自身は幸いなことにiPhoneのバッテリーチャージャーを持ち歩いていて帰宅までずっとTwitterを追ったりNHKのミラーUST見たりできていて、全くの自分本位で動いていたのですが、帰宅途中通った門前仲町の商店街のお店からラジオが大音量で流れていてハッとさせられました。

深刻な被害を受けているのは震源地であり、都内の交通の混乱を震災のように語ってはいけないのは大前提ですが、
「都内在住で自身も帰宅できず、家族の安否もわからず」といった状態で心配な一夜を過ごした人もいたはずで。
現に11日にJRストップのためビックサイトから帰宅できなかった人も多くいたようだし、同じポジションのコンパニオンさんも「宮城の両親と連絡がとれない」と言っていて。
そう話したのは揺れの直後で、入ってきた情報は震源の場所のみだったのでまさかこれほどの被害だとは思っていなかった。

私が飼っているイグアナ、本棚の上で生活しているもんだから死を覚悟していたのですが無事でした。
人間に比べてペットを引き合いに出すのは不謹慎だとは承知してますが、ペットですらシュレンディンガーの箱を開けてみるまでの時間は本当に怖くて長い。
一時期部屋(主にイグアナの様子)をパスかけてUSTしてたんですが、今も継続していれば良かったと思いました。

Googleの消息情報を登録するサイト、都内の帰宅困難者避難所の情報…。
今までの震災から比べたら、ネットのインフラ整備によるところはかなり大きいですよね。
電話は通じなくてもTwitterのDMやSkype、Gmail経由で大事な連絡は取り合えました。もっとそちらで連絡を取り合える人を増やしておくべきだと感じると同時に、災害時の伝言ダイヤルとかググらないと分からないレベルだったので、ネット環境になくても出来る予防策をはっておかなくては、と感じました。

私の実家は新潟県西蒲原郡(現:燕市)で、2004年に起きた中越地震(阪神淡路大震災以来の震度7)当時、私は高校生で新潟にいましたが幸い近辺で被害はありませんでした。
レジ打ちのバイトをしていたスーパーは支援物資を調達する人で溢れ惣菜は連日売り切れでした。
お客は皆さん、「阪神淡路大震災の際に食料の不足が深刻だったから」と口々に言いながら自ら車で届けに行く善意の塊のような人達だったけれど、届き過ぎてしまって被災地での仕分けが大変だったようですね。
今回中越地震の経験が活かされて、Twitterなどでもボランティアに関する注意点が呼びかけられていますね。
知人にも水道が止まって困っている人たちがいるけれども、東京でできることは節電と募金、あと時期を見極めての献血くらいでしょうか…。

中越地震の時など思い返してみると正直なところ、いわゆる「運命」などを心の隅で信じているふしがあったのですが、今は完全に確率の問題なのだとひしひしと思います。

考えうる限りの予防策はしておくし、みなさんもして下さい。

月並みな言葉ですが、被災地の方はもとより、また被災地を心配されている方も、皆様どうかお体ご自愛下さい。

(iPhoneより)