現アラサーが小学6年生から大学半ばまでロリィタだったころのこと話すね

2016.09.27

1997年、私は憧れのロリィタの世界に足を踏み入れた。
新潟県の田舎町から通販でHeartEのストラップシューズを手に入れたのだ。Vivienne Westwoodのロッキンホースバレリーナとも違わぬプラットフォームの厚底だけど、つま先がボールみたいに丸く、盛り上がっていて断然愛らしい。サイドにいちごのパッチがついていた。
当時、フリフリしたロリィタテイストのアイテムはロリィタブランドでしか手に入らなかった。デザイナーが特別な脳みそで描き出し特別なパタンナーが形作り特別な業者に特別なルートで発注をかけて特別なルートと価格で提供されるアイテムがロリィタアイテムだった。
私は特に靴に惹かれていた。素人に成形が困難なあの形を見つめる私は、モノリスを見つめる猿。

PINK HOUSE混同、ロリィタ枯渇時代

HeartEが榎本加奈子主演のTVドラマ『おそるべしっっ!!!音無可憐さん』に衣装提供するというので見ていたのが翌1998年。子供服だったエミリーテンプルが婦人服としてエミリーテンプルキュートになったのも1998年。
マルイワンにロリィタは扱っていなかったし、Angelic Prettyはセレクトショップだった。HeartEは最初の移転する前の原宿の店舗があった。雑誌『ゴシックロリータバイブル』がムック本として創刊されたのは2000年。『下妻物語』の小説初版が2002年、映画化は2004年。



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そんなロリィタ枯渇時代の90年代末の新潟県でロリィタ道に踏み入れたのは、親の用事で東京に行って原宿の神宮橋にたむろするゴスロリちゃんを見て憧れるようになったから。
それまで私はキャップを逆さにかぶり、鼻頭にわざと絆創膏を貼って、チューインガムを膨らまして写真に写るような利かん坊の女の子だった。のちのち「かわいい」に魂を吸い取られる体質に調教されていくが、初めてゴスロリちゃんを見たときの感想は「超かっけー!!まじクール!!」だった。
小学生だったので、本当の意味でロリじゃないかと思われるかもしれないが、当時の流行からするとそうではない。
安室奈美恵が全盛期で、ミニスカートにシャギーの入ったツンツンの茶髪、日焼けサロンで肌を焼いたアムラーファッションや、PUFFYのタイトなTシャツにだぼっとしたダメージジーンスを合わせ、髪はちりちりのソバージュという格好が跋扈していた。
モーニング娘。の『抱いてHOLD ON ME ! 』が発売されるころで、アイドルだって大人っぽすぎる色気を見せていた。大人も若年層もとにかく大人びた服装をしていた。フリフリのお洋服を着ている小学生なんて本当にいなかった。

この頃に友達4人くらいでPIKOのTシャツを着て近所のカラオケ大会で鈴木亜美を歌ったのを覚えている。


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curassy.com

大人たちはPINK HOUSEを通った世界観だったので、ミニスカートのギャルに比べて主に貞操の観点から好意的に思ってくれた。いかにもカントリーテイストの子供服といった感じのお古が親族によって私の手元に集まってきた。しかしカントリーとロリィタはウェディングドレスと宇宙服くらい私のなかで差があった。のちのち、2001年の嶽本野ばら著『それいぬー正しい乙女になるために』で「カントリーなんて糞くらいあそばせ!」というタイトルでPINK HOUSEをdisっている章があったし、三原ミツカズの『DOLL』1巻でブス役がPINK HOUSE風の服を着ていたので、ロリィタ信仰の共通認識としてPINK HOUSE disは根強かったのがわかる。

掲示板で出会った文通友達にヘッドドレスを送る

中学生になって家族共用のパソコンが手に入り、バンギャのゴスロリからロリィタに趣味が変わっていった。インターネットで有名なロリィタちゃんのウェブサイトを徘徊した。その掲示板で仲良くなった埼玉県の子と文通をした。
プリクラを送ったり、見よう見まねで作ったヘッドドレスを送ったんだけど、本物のヘッドドレスを持っていないから、今思えばベースの生地がなく、レースをレースでつないだだけのレースのおばけだった。

HeartEやBaby, the Stars Shine Brightやメタモルフォーゼのサイトのスタイリングの切り抜きをディズニー版アリスのプリクラ帳に入れてた。

ネットで譲ってもらったポストカードなんかも入れていた。これは初期の名作と言われてたBABYのギンガムチェックのお洋服。抱いてるお人形も存在し、のちのちリバイバルもされたような。もちろん代官山に店舗があったころ。
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新潟ガタケットから持ち帰った精神主義

新潟にはガタケットというコミケのようなアニメマンガイベントがあり、同人活動をしている中学校の友人から、会場にロリィタがたくさんいるとの報告を受け遊びに行った。
でもそこには、安っぽいラッセルレースがついたボリュームのない衣装にすっぴんメガネの人や、また、ピンクの甘い甘いお洋服なのに足元はスニーカーというような人が沢山いて、世界観のないコスプレロリィタを蔑視するようになった。コスプレロリィタがいる限り、ロリィタはファッションとして理解されないと思った。
ちなみにラッセルレースを蔑んでいたが、メタモルフォーゼの綿混ラッセルは許していた。
お金がなくてアイテムをあまり手に入れられなくても、コスプレと思われずにおしゃれに着こなすためには、髪型や仕草、精神からロリィタでなくてはならないと思い、制服を着ていてもスカートの下に短いドロワーズを履くようになった。
安易にロリィタっぽい服装の子を出してくるアニメ・マンガ作品にも嫌悪感を感じた(ちょっと後だけどローゼンメイデンみたいな)。三原ミツカズは嫌いじゃなかった。『集積回路のヒマワリ』に出てくる女の子と同じJane Marpleの昔のスカートを親の名義のヤフオクアカウントで探して手に入れたりした。

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最近『AIの遺伝子』を読んだ時に、AIロボットを一般消費者が買えるようになった世界の短編ヒューマンドラマというところに既視感を持ったのは、『集積回路のヒマワリ』やそれに続く『DOLL』を思い出したせいかな。


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小説は色々読んでいたけどロリィタ関連のものは嶽本野ばらしか知らなかった。
そういえば、嶽本野ばらの『ツインズ』みたいだなあと勘違いしながら新潟の長岡で平凡なフリーマーケットに一人で出店してるとき、Angelic Prettyの元デザイナーだという人に声をかけられた。私は赤チェックのジャンパースカートに白のボンネットをかぶっていた。まだ、Prettyのオリジナル商品は出始めのころだったと思う。

指定制服があるけどBaby, the Stars Shine Brightのコートで学校に行っていた

中学生のその頃はHeartEが大好きだった。うさぎの耳がついたふわふわのパーカーとか、天使の羽がついたナップサックや耳あてとか。初めて店舗に行ったとき、店員さんがスタイルのいい遠くを見るとき目をほそめる可愛いお姉さんだったのを覚えている。


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hearte.co.jp


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fril.jp

インターネットで知ったエミリーテンプルキュートにも憧れだした。
子供服のシャーリーテンプルが当時新潟の伊勢丹かどこかにあると知り、行って1,000円のギフトボックスを買い、インテリアとして部屋に飾ってうっとりしていた。
そして初めて東京原宿のラフォーレの店舗でお買い物をした。エミリーテンプルキュートは外国の女の子をモデルに起用したちょっとハイソなお姉さんブランドという感じだったのですごく緊張した。
全盛期にヤフオクで定価の三倍くらいの値がつくことになる初代ショートケーキ柄がなぜかたくさん残っていたのを覚えている。それを横目に着まわしやすそうな、ストライプ模様がさりげなく入ったピンクのワンピースを親に買ってもらった。


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closetchildonlineshop.com

そのころ届いたポストカードだと思う。
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シャーリー30周年なので2002年。マルイワン新宿6Fということは、マルイヤングの5-9Fにマルイワンが移る前かな(キュートは8Fに移った)。
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こっちは2003年のはず。ラフォーレにまだ店舗があり、4階に移る前の4.5階のときですね。
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でも、発育の遅い中学生の身にエミリーテンプルキュートの婦人服は、身丈は合っているのになんだかいかにも「着せられている」感があった。その点HeartEは「子供服を大人のサイズで作る」というコンセプトがあり、しっくりきていた。

しかし転換期が訪れる。指定制服のある高校の入学式でHeartEのピンクのトートバッグを持っていたら「あの子、お母さんの手作りのバッグw」と噂話されているのが聞こえたのだ。確かにHeartEはハンドメイドっぽさがあった。客観的に見たことがなかった私は衝撃を受けた。ワンピースなら一着2万はするものだったのに、手作りに見えるなんて損してる気分だった。すこしHeartEに距離を置くようになった。
大きな鞄を持っていなかったこともあり、親にねだって入学祝いとしてBaby, the Stars Shine Brightの学生風の茶色鞄を買ってもらい、それで登校した。
雪国のため冬はロングコートとブーツの着用が許されたので、鞄に加えてBABYの白のロングコートと同じくBABYの白のロングブーツを履いて登校した。どの角度から見ても学校に行く服装ではなかった。


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babyssb.co.jp

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中学生〜高校に入りたてのときのプリクラ。
お洋服を買うためにバイトを沢山した。

ロリィタのおかげで初めて洋楽ロックを聴く

HeartEが手作りと思われることの反発から極端なBABYやPrettyに移ったが、だんだんエミリーテンプルキュートにのめり込んでいった。

Jane Marpleにも少し手を出した。うさぎ&バンビさんという方がJane Marpleのファンサイトをやっていてずっと見てた。他にファンサイトをやっている人が、Smashing PumpkinsがMVが世界観が素敵で好きだと書いてあったのを見てほどんど初めて洋楽ロックを聴いたりした。ロリィタの子がよく聴いていたのがヴィジュアル系と香奈。香奈は最近ググったらあの頃と同じクオリティを維持していた。感心した。

転校してエミリーテンプルキュート三昧

途中で私服の高校に転校した。
新潟のひとつの高校で、奇跡的に私と同じく、エミリーテンプルキュートを古参ぶって「エミキュ」ではなく「キュート」と略す子に出会い友達になった。由来は初期に接していた店員さんがそう呼んでいたからである。ココルルを着ているようなギャルが多かったけど下妻物語の影響かみんな理解を示していてよくしてくれた。

この時はとにかくエミリーテンプルキュートを買っていて、毎日ほとんど同じ服を着たことがなかった。それと、もう「自分はロリィタだ」という意識がなかった。エミリーテンプルキュートはエミリーテンプルキュートというジャンルだった。

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見る人が見ればなんの服かわかる!

「Cerise」に名前が変わる前のBaby Ribbonで5,000円くらいする帽子箱や1万円くらいするハートのクッションとかも集めてた。

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store.lovecerise.com


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store.lovecerise.com

高校生のときに貰ったハガキ…だと思う。
もうラフォーレは4Fでマルイワンはヤング館の上だね。
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この柄のワンピ人気で「昔のキュートが帰ってきた!名作だ!」と言われていた。私はピンクを買った。

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この時黒猫ちゃんの柄のお洋服が出てて(上のプリクラ上段右から二番目)、評価が分かれてたたけどそのあと名作と言われた。

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この時名作と言われてたエミリーテンプルキュートの服には、鳥かご柄、ぬいぐるみうさぎ柄、籠苺柄、バラリボン、ショートケーキなどなど。ロリィタのお洋服の名作なんて同時代の人にしかわかんないんだろうなと思うとさみしい。
2016/09/27/19:30追記:この時懐古されて名作だといわれていた、過去のエミリーテンプルキュートのお洋服の話です。当時ヤフオクで高値がついていたお洋服で、この当時発売されたものの意味ではありません。余談ですが、上で紹介したポストカードのショップ柄や猫ちゃんのプリントなど、裾プリントが人気の傾向がありよく売れていたので、みんな裾プリントに注目していたし、戦略的に出されていった印象があります。余談でした。)

エミキュ友達が増えたので双子や三つ子も沢山したし同じ服を色違いで持っていた

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このころ、雑誌、初代『小悪魔ageha』でBABYやPrettyを着る人がいて、キャバクラで働くバンギャがJESUS DIAMANTEを着ていた流れがあって、その辺が近い存在になっていて、私もカジュアルにケイティやMILKを着始めたり、今ではブランド自体無くなったAmonavisなどなら着るようになった。タイトな服を着たのは中学生ぶりで、大変新鮮だった。

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でも、大学に入って東京に出たら、またエミリーテンプルキュート好きの子がいて、大好きなお店も近くなったし、またエミリーテンプルキュートに盲目になった。

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悶え苦しむのが辛くてやめた

それで、大学生半ばになって、かわいいものに悶え苦しむのがもう辛くて脱しようと思った。

お洋服は全部売ったし、ここに載せたポストカードも、スキャンしてしまって本体は捨てたし、HDDが壊れて消えたお洋服の写真やプリクラもたくさんある。

謎の手作りの服を着てる期間や全身ユニクロの空白期間を経て、今はブランドで言うとG.V.G.VやKENZOをよく着る。HYKEとかAcne StudiosとかmameとかTOGAとか、普通の同年代らしいこのゾーン。
でも2014年のG.V.G.Vはラブリーなコンセプトだったので引き戻されそうでまずかった。
そしてPINK HOUSEとコラボした服を見つけて目ん玉飛び出た。
今年20年ぶりにPINK HOUSEの店舗がラフォーレに復活する そうで、チェックシャツとの重ね着やヴェトモン主導のオーバーサイズのスタイリングに、ぜんぜん思春期の「かわいい!」が呼び起こされなくて、安心した。着たいと思えた。「かわいい」は私の思春期の同胞と呼ぶべき存在で大切だけど、このまま外側から見ていたい。