クレーン!

2012.06.23

高層ビルのてっぺんで、紅白の縞模様の鬼のツノみたいに生えてるやつ。クレーン。あれってビルが完成したあとどうやって降ろすのか、考えたことが無かった。
一度意識するようになってからは、あのクレーンにちょっとした畏敬の念さえ覚えるようになりました。大小様々なタイプが街中に散らばっているし、もしあなたに信仰が必要ならば、現代の大仏もしくはトーテムポールとして観光してめぐるのにぴったりなんじゃないかしら。

巨像恐怖症かは分からないけれど、ぱっと開けた視界に、距離感がつかめないくらいの、今にも動き出しそうな巨大な建造物があるとなんとなく脈があがるというか、反射的に逃げられる体制をとってしまう気持ちって分からなくはない。畏怖は畏敬に繋がりますね。古来から人は怖さの由来が分からないものを「崇め」「名前をつける」ことによって克服してきた歴史があり。

最近読んだSF小説に「夜間交換機」っていうのが出てきて、この電話みたいなものは何が未来的かっていうと、ふつう人は目覚めているときに五感で情報を拾って脳内で変換するけれど、このマシンは五感を介さずに情報を交換することができるのね。使うのは寝ている間に限られて、なぜかというと、目覚めている間に五感を介さず情報が頭の中に出現するっていうのは、見当職を失うことであって、トラウマを生むことなんだよね。言葉の隔たりなく情報を交換・共有できるんだから、他国語の翻訳も必要ない未来。憧れるなあ。でもこわいと感じる人もきっと多いよね。本能的な恐怖を克服して人間は近代化してきたなんて言うけれど。

この間「ウーロン茶が苦くて飲めない」という話を人とした。私にとって苦いウーロン茶をなぜ飲めるのかというと「ビールを苦いと感じないでしょ?それと同じで苦みを感じない」とその人は言ったの。ビールが大好きな私はビールを見るたびに、あたかも遅効性ウイルスのようにその言葉が効いてきて、最後には合点がいってウーロン茶をぐびぐび飲めるようになってしまった。
「ビールを苦いと感じないでしょ?」「ビールを苦いと感じないでしょ?」「ビールを苦いと感じないでしょ?」
ああ、私はつねづね、言語の影響を受けやすいなあ。
今わたしが怖いと思ってるものでも、理路整然と清書してプレゼンでもしたら、へっちゃらになれてしまう気がする。
伊集院光氏がラジオで話してたことなんだけど、彼は往年「胃もたれ」と「胸焼け」を混同して使ってたんだって。ある明け方「半額になった冷蔵庫の冷えたメンチカツ」を「3つ立て続けに食べた」ら、胃が大変な病気のように気持ち悪くなって、寝てるお嫁さんを起こして訴えたそう。
「あなたそれは胃もたれよ」、「いや胃もたれって『胸が焼けるような感じ』だろ!あっ。」
…みたいなひと問答があってやっと、42年の年季の入った間違いに気づいたそうなんだけど。
形は違えど、きっと誰しも経験する言葉と感覚の関係ですな。夜間交換機でコミュニケーションするようになったら、こんなことも起こらないんだろうなあ。

ビルが完成したのち、クレーンは、自分より少し小さいクレーンを上まで持ち上げて、その小さいクレーンで降ろす。
その小さいクレーンをどうやって降ろすかというと、それよりもう少し小さいクレーンで降ろす。そうやって少しづつ小さいクレーンにしていって、最後には人が運べる大きさになるらしいです。すごいな。近代技術はすごいな。
実は私これもミステリー小説で読んだんだ。人づてに聞いたらそんなに印象に残ってないだろうという気がする。