花火をバルブ撮影したかった。入道雲も撮り忘れた。秋。

手触りだけを思い出すことがある。ざらっとしていて、薄くて乾いているとか。制服を着てそれを手にしているということが皮膚を通じて分かっても、肝心のそのものがなんだかはさっぱり思い出せない。

思い出そうとするほどにその手触りは逃げて行ってしまい、まるで煙を抱きしめるように徒労。それでいて圧倒的な、皮膚を介さないで脳に直接信号を与えられたような、超現実とでも名付けたいような手触り。

手のひらに小指の爪ほどの折り鶴をはじめて乗せたとき、その存在の軽さに空間が歪んで感じた。折り鶴のやっと視認できる程度のしわ、切り口の繊維などがスカートのヒダや腕と同じようなサイズに感じられ、折り鶴のサイズに自分が吸い込まれて行くような気がし、また、折り鶴だけが三次元の正しい奥行きを持っていて、その周りに平坦な書割が広がっていくようでもあった。鶴を持たない時もその歪みは日常生活に現れた。知育玩具として触っていた、マトリョーシカのようにいくつも入れ子になった青色の箱があった。眠るときなど、この箱を開けていくようだった。心細いほど軽いその最後の箱を、手のひらに載せている、そう思った時には自分がその箱の中に入っている。重みを持たない薄い薄い体になって誰かの掌に乗っている。不思議の国のアリス症候群かしら、と期待しているうちにその感覚は現れなくなった。その代わりに不確かな手触りを思い出す。不確かなのは自分の身体のほうだったのだろう。

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