現アラサーが小学6年生から大学半ばまでロリィタだったころのこと話すね

1997年、私は憧れのロリィタの世界に足を踏み入れた。
新潟県の田舎町から通販でHeartEのストラップシューズを手に入れたのだ。Vivienne Westwoodのロッキンホースバレリーナとも違わぬプラットフォームの厚底だけど、つま先がボールみたいに丸く、盛り上がっていて断然愛らしい。サイドにいちごのパッチがついていた。
当時、フリフリしたロリィタテイストのアイテムはロリィタブランドでしか手に入らなかった。デザイナーが特別な脳みそで描き出し特別なパタンナーが形作り特別な業者に特別なルートで発注をかけて特別なルートと価格で提供されるアイテムがロリィタアイテムだった。
私は特に靴に惹かれていた。素人に成形が困難なあの形を見つめる私は、モノリスを見つめる猿。

PINK HOUSE混同、ロリィタ枯渇時代

HeartEが榎本加奈子主演のTVドラマ『おそるべしっっ!!!音無可憐さん』に衣装提供するというので見ていたのが翌1998年。子供服だったエミリーテンプルが婦人服としてエミリーテンプルキュートになったのも1998年。
マルイワンにロリィタは扱っていなかったし、Angelic Prettyはセレクトショップだった。HeartEは最初の移転する前の原宿の店舗があった。雑誌『ゴシックロリータバイブル』がムック本として創刊されたのは2000年。『下妻物語』の小説初版が2002年、映画化は2004年。



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そんなロリィタ枯渇時代の90年代末の新潟県でロリィタ道に踏み入れたのは、親の用事で東京に行って原宿の神宮橋にたむろするゴスロリちゃんを見て憧れるようになったから。
それまで私はキャップを逆さにかぶり、鼻頭にわざと絆創膏を貼って、チューインガムを膨らまして写真に写るような利かん坊の女の子だった。のちのち「かわいい」に魂を吸い取られる体質に調教されていくが、初めてゴスロリちゃんを見たときの感想は「超かっけー!!まじクール!!」だった。
小学生だったので、本当の意味でロリじゃないかと思われるかもしれないが、当時の流行からするとそうではない。
安室奈美恵が全盛期で、ミニスカートにシャギーの入ったツンツンの茶髪、日焼けサロンで肌を焼いたアムラーファッションや、PUFFYのタイトなTシャツにだぼっとしたダメージジーンスを合わせ、髪はちりちりのソバージュという格好が跋扈していた。
モーニング娘。の『抱いてHOLD ON ME ! 』が発売されるころで、アイドルだって大人っぽすぎる色気を見せていた。大人も若年層もとにかく大人びた服装をしていた。フリフリのお洋服を着ている小学生なんて本当にいなかった。

この頃に友達4人くらいでPIKOのTシャツを着て近所のカラオケ大会で鈴木亜美を歌ったのを覚えている。


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大人たちはPINK HOUSEを通った世界観だったので、ミニスカートのギャルに比べて主に貞操の観点から好意的に思ってくれた。いかにもカントリーテイストの子供服といった感じのお古が親族によって私の手元に集まってきた。しかしカントリーとロリィタはウェディングドレスと宇宙服くらい私のなかで差があった。のちのち、2001年の嶽本野ばら著『それいぬー正しい乙女になるために』で「カントリーなんて糞くらいあそばせ!」というタイトルでPINK HOUSEをdisっている章があったし、三原ミツカズの『DOLL』1巻でブス役がPINK HOUSE風の服を着ていたので、ロリィタ信仰の共通認識としてPINK HOUSE disは根強かったのがわかる。

掲示板で出会った文通友達にヘッドドレスを送る

中学生になって家族共用のパソコンが手に入り、バンギャのゴスロリからロリィタに趣味が変わっていった。インターネットで有名なロリィタちゃんのウェブサイトを徘徊した。その掲示板で仲良くなった埼玉県の子と文通をした。
プリクラを送ったり、見よう見まねで作ったヘッドドレスを送ったんだけど、本物のヘッドドレスを持っていないから、今思えばベースの生地がなく、レースをレースでつないだだけのレースのおばけだった。

HeartEやBaby, the Stars Shine Brightやメタモルフォーゼのサイトのスタイリングの切り抜きをディズニー版アリスのプリクラ帳に入れてた。

ネットで譲ってもらったポストカードなんかも入れていた。これは初期の名作と言われてたBABYのギンガムチェックのお洋服。抱いてるお人形も存在し、のちのちリバイバルもされたような。もちろん代官山に店舗があったころ。
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新潟ガタケットから持ち帰った精神主義

新潟にはガタケットというコミケのようなアニメマンガイベントがあり、同人活動をしている中学校の友人から、会場にロリィタがたくさんいるとの報告を受け遊びに行った。
でもそこには、安っぽいラッセルレースがついたボリュームのない衣装にすっぴんメガネの人や、また、ピンクの甘い甘いお洋服なのに足元はスニーカーというような人が沢山いて、世界観のないコスプレロリィタを蔑視するようになった。コスプレロリィタがいる限り、ロリィタはファッションとして理解されないと思った。
ちなみにラッセルレースを蔑んでいたが、メタモルフォーゼの綿混ラッセルは許していた。
お金がなくてアイテムをあまり手に入れられなくても、コスプレと思われずにおしゃれに着こなすためには、髪型や仕草、精神からロリィタでなくてはならないと思い、制服を着ていてもスカートの下に短いドロワーズを履くようになった。
安易にロリィタっぽい服装の子を出してくるアニメ・マンガ作品にも嫌悪感を感じた(ちょっと後だけどローゼンメイデンみたいな)。三原ミツカズは嫌いじゃなかった。『集積回路のヒマワリ』に出てくる女の子と同じJane Marpleの昔のスカートを親の名義のヤフオクアカウントで探して手に入れたりした。

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最近『AIの遺伝子』を読んだ時に、AIロボットを一般消費者が買えるようになった世界の短編ヒューマンドラマというところに既視感を持ったのは、『集積回路のヒマワリ』やそれに続く『DOLL』を思い出したせいかな。


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小説は色々読んでいたけどロリィタ関連のものは嶽本野ばらしか知らなかった。
そういえば、嶽本野ばらの『ツインズ』みたいだなあと勘違いしながら新潟の長岡で平凡なフリーマーケットに一人で出店してるとき、Angelic Prettyの元デザイナーだという人に声をかけられた。私は赤チェックのジャンパースカートに白のボンネットをかぶっていた。まだ、Prettyのオリジナル商品は出始めのころだったと思う。

指定制服があるけどBaby, the Stars Shine Brightのコートで学校に行っていた

中学生のその頃はHeartEが大好きだった。うさぎの耳がついたふわふわのパーカーとか、天使の羽がついたナップサックや耳あてとか。初めて店舗に行ったとき、店員さんがスタイルのいい遠くを見るとき目をほそめる可愛いお姉さんだったのを覚えている。


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インターネットで知ったエミリーテンプルキュートにも憧れだした。
子供服のシャーリーテンプルが当時新潟の伊勢丹かどこかにあると知り、行って1,000円のギフトボックスを買い、インテリアとして部屋に飾ってうっとりしていた。
そして初めて東京原宿のラフォーレの店舗でお買い物をした。エミリーテンプルキュートは外国の女の子をモデルに起用したちょっとハイソなお姉さんブランドという感じだったのですごく緊張した。
全盛期にヤフオクで定価の三倍くらいの値がつくことになる初代ショートケーキ柄がなぜかたくさん残っていたのを覚えている。それを横目に着まわしやすそうな、ストライプ模様がさりげなく入ったピンクのワンピースを親に買ってもらった。


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そのころ届いたポストカードだと思う。
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シャーリー30周年なので2002年。マルイワン新宿6Fということは、マルイヤングの5-9Fにマルイワンが移る前かな(キュートは8Fに移った)。
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こっちは2003年のはず。ラフォーレにまだ店舗があり、4階に移る前の4.5階のときですね。
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でも、発育の遅い中学生の身にエミリーテンプルキュートの婦人服は、身丈は合っているのになんだかいかにも「着せられている」感があった。その点HeartEは「子供服を大人のサイズで作る」というコンセプトがあり、しっくりきていた。

しかし転換期が訪れる。指定制服のある高校の入学式でHeartEのピンクのトートバッグを持っていたら「あの子、お母さんの手作りのバッグw」と噂話されているのが聞こえたのだ。確かにHeartEはハンドメイドっぽさがあった。客観的に見たことがなかった私は衝撃を受けた。ワンピースなら一着2万はするものだったのに、手作りに見えるなんて損してる気分だった。すこしHeartEに距離を置くようになった。
大きな鞄を持っていなかったこともあり、親にねだって入学祝いとしてBaby, the Stars Shine Brightの学生風の茶色鞄を買ってもらい、それで登校した。
雪国のため冬はロングコートとブーツの着用が許されたので、鞄に加えてBABYの白のロングコートと同じくBABYの白のロングブーツを履いて登校した。どの角度から見ても学校に行く服装ではなかった。


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中学生〜高校に入りたてのときのプリクラ。
お洋服を買うためにバイトを沢山した。

ロリィタのおかげで初めて洋楽ロックを聴く

HeartEが手作りと思われることの反発から極端なBABYやPrettyに移ったが、だんだんエミリーテンプルキュートにのめり込んでいった。

Jane Marpleにも少し手を出した。うさぎ&バンビさんという方がJane Marpleのファンサイトをやっていてずっと見てた。他にファンサイトをやっている人が、Smashing PumpkinsがMVが世界観が素敵で好きだと書いてあったのを見てほどんど初めて洋楽ロックを聴いたりした。ロリィタの子がよく聴いていたのがヴィジュアル系と香奈。香奈は最近ググったらあの頃と同じクオリティを維持していた。感心した。

転校してエミリーテンプルキュート三昧

途中で私服の高校に転校した。
新潟のひとつの高校で、奇跡的に私と同じく、エミリーテンプルキュートを古参ぶって「エミキュ」ではなく「キュート」と略す子に出会い友達になった。由来は初期に接していた店員さんがそう呼んでいたからである。ココルルを着ているようなギャルが多かったけど下妻物語の影響かみんな理解を示していてよくしてくれた。

この時はとにかくエミリーテンプルキュートを買っていて、毎日ほとんど同じ服を着たことがなかった。それと、もう「自分はロリィタだ」という意識がなかった。エミリーテンプルキュートはエミリーテンプルキュートというジャンルだった。

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見る人が見ればなんの服かわかる!

「Cerise」に名前が変わる前のBaby Ribbonで5,000円くらいする帽子箱や1万円くらいするハートのクッションとかも集めてた。

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高校生のときに貰ったハガキ…だと思う。
もうラフォーレは4Fでマルイワンはヤング館の上だね。
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この柄のワンピ人気で「昔のキュートが帰ってきた!名作だ!」と言われていた。私はピンクを買った。

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この時黒猫ちゃんの柄のお洋服が出てて(上のプリクラ上段右から二番目)、評価が分かれてたたけどそのあと名作と言われた。

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この時名作と言われてたエミリーテンプルキュートの服には、鳥かご柄、ぬいぐるみうさぎ柄、籠苺柄、バラリボン、ショートケーキなどなど。ロリィタのお洋服の名作なんて同時代の人にしかわかんないんだろうなと思うとさみしい。
2016/09/27/19:30追記:この時懐古されて名作だといわれていた、過去のエミリーテンプルキュートのお洋服の話です。当時ヤフオクで高値がついていたお洋服で、この当時発売されたものの意味ではありません。余談ですが、上で紹介したポストカードのショップ柄や猫ちゃんのプリントなど、裾プリントが人気の傾向がありよく売れていたので、みんな裾プリントに注目していたし、戦略的に出されていった印象があります。余談でした。)

エミキュ友達が増えたので双子や三つ子も沢山したし同じ服を色違いで持っていた

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このころ、雑誌、初代『小悪魔ageha』でBABYやPrettyを着る人がいて、キャバクラで働くバンギャがJESUS DIAMANTEを着ていた流れがあって、その辺が近い存在になっていて、私もカジュアルにケイティやMILKを着始めたり、今ではブランド自体無くなったAmonavisなどなら着るようになった。タイトな服を着たのは中学生ぶりで、大変新鮮だった。

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でも、大学に入って東京に出たら、またエミリーテンプルキュート好きの子がいて、大好きなお店も近くなったし、またエミリーテンプルキュートに盲目になった。

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悶え苦しむのが辛くてやめた

それで、大学生半ばになって、かわいいものに悶え苦しむのがもう辛くて脱しようと思った。

お洋服は全部売ったし、ここに載せたポストカードも、スキャンしてしまって本体は捨てたし、HDDが壊れて消えたお洋服の写真やプリクラもたくさんある。

謎の手作りの服を着てる期間や全身ユニクロの空白期間を経て、今はブランドで言うとG.V.G.VやKENZOをよく着る。HYKEとかAcne StudiosとかmameとかTOGAとか、普通の同年代らしいこのゾーン。
でも2014年のG.V.G.Vはラブリーなコンセプトだったので引き戻されそうでまずかった。
そしてPINK HOUSEとコラボした服を見つけて目ん玉飛び出た。
今年20年ぶりにPINK HOUSEの店舗がラフォーレに復活する そうで、チェックシャツとの重ね着やヴェトモン主導のオーバーサイズのスタイリングに、ぜんぜん思春期の「かわいい!」が呼び起こされなくて、安心した。着たいと思えた。「かわいい」は私の思春期の同胞と呼ぶべき存在で大切だけど、このまま外側から見ていたい。

性別から自由になりたい童貞女子による女性の性欲についての思弁

前回のブログは5年以上前から思っていたことをそのまま書いた。時代状況を全然吸収していないが、人に伝わるのかなあと思って書いてみた。

私は性別から自由になりたいと思っている方の人間だ。
「生まれ変わったら男と女どちらになりたいか」?、「男に生まれても女に生まれても私らしく生きられる世界に生まれたい」。

女友達も少なく世間的にもあまちゃんな私の話など童貞が女を語っているのを聞くくらいの感じで読んでほしいのだけど、男性の性欲は抑圧されることでこじれるのに対し、女性の性欲は根本からこじれる構造にあると思う。

「私は風俗嬢が天職だと思う!」っていう女性がいると、男性は単純に「性欲が強いんだね。じゃあ仕事で発散できていいね」って言う。でも若い女性の性欲の強さは、生物的なものよりも、いかにこじらせているかっていうのと比例すると思う。

「小さいころの性的トラウマがあったけれど、アダルト業界に入ってトラウマを解消できた」、なんて女性や、「夫とセックスレスで女としての自分に自信がなかったけど、AV女優になって人気が出たことで、生きる気力が湧いてきた」なんて人は多いようだ。この場合男性のような「性欲の発散」ではないと私は思う。

女性の性欲は承認欲求とセットになりやすい。だからこじれやすい。

女性は子どものころから同性のおっぱいを吸って心地よさを感じているから、女体のエロスに目覚めている。スタイルのいい自分に萌える。モテる自分に萌える。自分が萌えられる存在であることに萌える。そんな風に抽象的なレイヤーの性欲だらけで、男性のように性欲を性欲単体として切り離しづらい。
承認欲求やトラウマが性欲の源泉になっていれば、性欲に向き合うほどますます性欲に絡め取られ、自覚したら飛躍して性産業に行ってしまったりもする。

承認欲求を満たしたいというのは男も女も変わらないのに、女の場合きれいになってモテることが選択肢のほとんどだったり、アイドルやAV女優になって作品づくりをするということがみんなの憧れる大きな選択肢になっているのが、私は狭小だと思うし気持ちの悪さを感じる。

女が女であることに縛られるほど性的サービスで承認欲求を満たすことが手軽で安直な手段になり、女の選択肢を減らしているという構図。選択したのは本人の意思のようでいて実際は性別というシステムに依拠している。そしてそれは男性の性欲よりも女性の性欲の方が資本になることが後押ししている。

だから私は性別から自由になれる世界を望んでいる。のかもしれない。

童貞女子の思弁は以上です。
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全ての女性はフェミニストであるべきだ

私は有識者ではないし色々な責任を引き受ける準備もないし、社会には他に解決すべき問題が山積みだ。それでも私はフェミニズム論者でありたい。「全ての女性はフェミニストであるべき」だと考えている。なぜ全ての女性がフェミニストにならなければいけないのか? 今の私たちの社会には「女性」と「人間」しかいないからである。社会が「猿」と「チンパンジー」で構成されているとして、チンパンジーが疎外されている。チンパンジーからの主張は「私たちも猿だ」だろうか? 違う。「お前たちはゴリラだ」。この主張ができるのはチンパンジー側のみだ。だから全ての女性はフェミニストであるべきなのだ。

「女性」と「人間」しか存在しないことに実感が湧かなければイメージしてほしい。「男になる」とは「社会的人間になる」と同義だ。その通過儀礼は男性のみが獲得できるもので、女が性転換をして「男になった」ところで、「大人になった」わけではない。
対して「女になる」は性別や身体、そして身体の拡張としての「身に纏うもの」を変容するだけで獲得できる意味が全てだ。
女に見える動物はあまりいない。ゴリラもイグアナもイワシも。だがピンクのリボンを頭に結んでやれば女に見える。女とは身体的記号が全てで、男性にはその身体がない。男性は神と同じく性別のない無色透明で中立な存在で、性別を持っているのは女性だけだ(この文章ももしも「あたし、〜と思うのよね。〜なのかしら。」と書いていたら、もっともっと公共性のない随筆と受け止められるだろう)。そういう意味で「女性と人間しかいない」。

男性の中にもフェミニストはおり、彼らは「女性を救ってやる」というまさに男性中心主義に陥る危険と戦っている。そんななか女性が率直に権利を主張せずどうする?
なぜフェミニストが責任を負わなければならない? 世界の半分は女性なのに?

争いごとを嫌ってフェミニズムを退けることはある。場面単位で発生する。「個人の我慢くらいで済むのなら」、と。
なぜ個人的、家庭的なことは政治的、公共的なことと切り離されて考えられるのか?
権利をめぐって争うのは持たざるものの証明であって、育ちが良いと古き良き女性像に同化することに疑問をもたなかったりする。
男性の一歩後ろを歩くような女性は美しく、美しさゆえに内面化されやすい。女性は「おしとやかにしなさい」「股を閉じて座りなさい」などと母親を通じて、男性を意識するよりはるか昔から「身体」を矯正される。そして進んで矯正されていく。奴隷が奴隷であることにアイデンティティを持ち、自分の子どもを奴隷に育ててしまうように。

そういった奴隷はフェミニストにとって障害か? そうではない。
女性の労働をめぐって人と話したりすると、男性と対等になりたいのなら身体性を犠牲にしろ、長時間労働に耐え、身なりは最低限整えるだけにしろ、という至極真っ当で現実的な話になってしまう。
この話は裏返すと男性と対等になる気がなければ女性を売りにして良いという意味になる(風俗産業の是非の話にもなりやすい)。
すると、女性らしさの奴隷になることを批判する(女性らしくあることを否定する)ことと、女性を売りにする(女性らしくあることを肯定する)こと、これは正反対のようでどちらも同じ構図だということがわかる。
男性社会の中で生きるために女性らしくあるか女性を捨てるかの二択なのだ。「人間」か「女性」かの二択のまま変わらない。
それは女性解放のひとつの側面だが、フェミニズムの秘める可能性はもっとあると思っている。

できることは多様な性の在り方を肯定し推し進めることなのかなと思う。LGBTや既成の型に囚われない家族の形など。
ゴリラ以外にもオラウータンやチンパンジーを発見しようということ。自ずとゴリラも認知されるようになり、男性の生きづらさを解消することにも繋がると思う。

自身のことも再発見していかねばならない。政治施策がうまくいったり失敗したりするのを観賞するだけで終わらせてはいけないと思う。

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この間の朝のガラちゃん(イグアナ)。
このサイトはやく作り直したいです。

この岸あの岸

「自分が死ぬまでに達成できないもの」について思いをめぐらせるようになった。歳をとってタイムリミットに現実感がもたらされたのだろうか。それとも人生をかけてコミットしたいものがようやくできたのかもしれない。
「人生を物語化」する物事に懐疑をもって接してきたつもりでいる。政治とか宗教とか科学とか哲学とか占いとかあなたとわたしが同じ時代に生まれたのは運命だとか。人間は物語のなかでしか生きられないことは重々承知しつつなるべく相対的立場を好んだ。その性質は私のジェネレーションで語ることもできるが、新興宗教に没入したまま亡くなった母親のもとで育ったという個人的体験で語ることもできる。
ジェネレーションで語るならば、物語に没入する危険性を鑑みつつも「あえて」コミットするというメタ没入型のひとも多い昨今だ。タイムリミットに気づいていてクレバーだと思う。
タイムリミットを延ばせるとしたら草薙素子のように疑体化したりAiに脳データを移植するほかない。2045年と憶測されているシンギュラリティ以後にはそれも可能かもしれない。
シンギュラリティが起これば人間は単純労働から逃れ古代ギリシア人のように哲学に浸る時間が増えるという論が一方ではある。脳データの継承ができ死を乗り越えられるようになったら実存的哲学はどういう形になるのだろう?宗教は?
「自分が死ぬまでに達成できない」ことの根源はタイムリミットともうひとつ、達成したいことが他者によって阻まれているということだろう。オブジェクトのリミットがあるためであることが多いように思う。ひとつの神の予言の地を奪い合うこと。財産を奪い合うこと。動物の命を奪わなければ生きられないこと。
オブジェクトのリミットが超えていきやすくなっている。ストリーミングでの音楽配信がいま広まりつつあるように、モノを持つことが少なくなっているから。
タイムリミットを延ばせないなら、並行世界に移行して夢を実現するという方法もある。
この間「破壊衝動と性衝動を切り離すことに失敗した屍姦好きの犯罪者に生まれていた可能性を考えることがあるよ」と人に話した。死刑についての話になり、世間と利害関係が一致しなかった不幸な犯罪者は死刑ではなく仮想現実に送って自分の好きなように生きさせれば良いという結論に至った。死はまだ未知だから。
魂は有限か?宗教家の母親のもとですごく考えたことがあった。
魂という概念は私のなかであるときは固有に存在するものだったりあるときは理不尽な肉体と合理性の間の余剰物だったりあるときは思考回路のクセだったり、そのときの自分を支配している低レイヤーの物語のなかで形をかえたが、常にある概念だった。
ほとんどの宗教は意味づけの体系と呼べるから、宗教を排除して意味付けを無くされた私は意味について様々な角度から引いて見たり近づいて見たり、結局のところますます意味に親しむようになってしまった。無意味に死ぬ命があるのはなぜ?というように。
何も達成できなかったとしても小さな意味を見つけ物語に収まっていくのだろうという諦観がある。テクノロジーの発展は意味の彼岸に連れて行ってくれるだろうか。そればかり楽しみにしている。

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にんにくラーメンチャーシュー抜き

過激な動物愛護のひとが、家畜をかわいそうと言うとき、その人を「人間的」と捉えるか、「動物的」と捉えるか、そんな二項対立が私の感心を惹いている。

動物愛護団体が「動物はあなたのごはんじゃない」という画像を作ってそのコラが出回った。先の問いに多くの人は「動物的」と答えるのだろう。過激な動物愛護のひとは怖い。感情的すぎるからだ。理性が抑制できていないと思わせるからだ。

一方で、この時代は総じて感情の時代だと思う。感情的にある国を嫌うし、扇情的なネタがバズる。
それは動物化なのだろうか。かつて理性が人間の証明だという時代があった。衝動を抑えることが人間的であり、他の動物と区別される崇高なものだと。理性で人々は助け合うと。しかしそんな時代は過ぎたと思う。

動物愛護の人は怖いけれど、私も哺乳類の肉を食べなくなって6年ほど経つ。魚は食べるのでベジタリアンではないし、思想もない。
思想はないが、行動は内面を生むもので、曖昧模糊とした考えが生まれている。動物的な時代の人間的なコミュニケーションについて。

人によって、共食いも平気とか、ウサギはかわいいから食べないけど馬は食べるとか、野菜さえかわいそうと思うとか、感情移入の度合いはそれぞれあるだろう。それはそのまま生き方である。あの人が嫌い、その線引きを広げてすべての人生を尊重できたら確かに人生は豊かになる。
しかし感情移入の線引きをどこまでも広げることはできない。野菜さえ食べられなくなったら死んでしまう。遠くの障がい者を気遣うことはできないし、全ての発展途上の子ども達に募金することはできない。

派生して考える。もし隣にいる人と同じ考えを持てないとする。理性の時代だったなら、嫌悪する感情を抑圧してまずは相手の話を訊き、自己批判もし、考えを切磋琢磨しあうのが人間的な繋がり方だっただろう。
しかし、これほど多様化した社会では、全ての人に対してそういった手順を踏むことはできない。どうするか。「あいつはネトウヨ」とレッテルを貼る。負のレッテルを貼ることはそれほど悲劇的なことではないのではないか。あいつはネトウヨだから私と考えが違うのは仕方ない。あいつは障がい者だから健常者と同じことは強要できない。これは野菜だから食べていい。弁証法的な運動はどこかで成長をやめる。そのとき、感情を解放することで保たれる多様性と人間的なコミュニケーション。

話は戻って、かつて飢餓に苦しめられた時代があり、食べられるものの種類を増やしていった。理性崇拝の時代があって、畜産業は発展した。「産業化された生命」を見て残酷だと思う感情を「感謝して食べればよい」と抑圧した。
かわいそうと声高に叫ぶのが動物的か人間的か。叫ぶ人を嫌悪するのは動物的か人間的か。食べ物を選ぶことからそんなことを考える。

花火をバルブ撮影したかった。入道雲も撮り忘れた。秋。

手触りだけを思い出すことがある。ざらっとしていて、薄くて乾いているとか。制服を着てそれを手にしているということが皮膚を通じて分かっても、肝心のそのものがなんだかはさっぱり思い出せない。

思い出そうとするほどにその手触りは逃げて行ってしまい、まるで煙を抱きしめるように徒労。それでいて圧倒的な、皮膚を介さないで脳に直接信号を与えられたような、超現実とでも名付けたいような手触り。

手のひらに小指の爪ほどの折り鶴をはじめて乗せたとき、その存在の軽さに空間が歪んで感じた。折り鶴のやっと視認できる程度のしわ、切り口の繊維などがスカートのヒダや腕と同じようなサイズに感じられ、折り鶴のサイズに自分が吸い込まれて行くような気がし、また、折り鶴だけが三次元の正しい奥行きを持っていて、その周りに平坦な書割が広がっていくようでもあった。鶴を持たない時もその歪みは日常生活に現れた。知育玩具として触っていた、マトリョーシカのようにいくつも入れ子になった青色の箱があった。眠るときなど、この箱を開けていくようだった。心細いほど軽いその最後の箱を、手のひらに載せている、そう思った時には自分がその箱の中に入っている。重みを持たない薄い薄い体になって誰かの掌に乗っている。不思議の国のアリス症候群かしら、と期待しているうちにその感覚は現れなくなった。その代わりに不確かな手触りを思い出す。不確かなのは自分の身体のほうだったのだろう。

健忘

ドアをくぐる行為は脳にとって活動の切り分けになるために記憶が途切れ、その結果人は傾向としてドアをくぐる度に物忘れをしやすい、という研究発表がなされた。随分前にニュース記事を読んだ。
私の脳はなぜだかその文章に「どこでもドア」を織り込んだ。「どこでもドア」をくぐるという行為は記憶を寸断させる…「どこでもドア」の転送方法は、利用者をスキャンして複製を目的地に転送するのだろう…複製時にデータの欠損が起こり利用者に健忘が起きる…それはとても自然なことだ…。

この頃健忘が多い。生活サイクルの変化をきっかけに、気づく回数が増えただけのことで、緩やかな老化だと思うけれど。
忘れごとに重ねて、ふと時計を見たら思いがけず時間が経っていたときなどには、時空間がすっぽり抜け落ちてしまったみたいで、特定の位置にだけ私の存在データが消失しているみたいで、悪夢SFのイメージが織り込まれる。

この頃Google検索が以前のようにすぐには目当てのものに辿り着かない。他者のデータばかりでなく自分のデータもクラウドに格納しまくっていて、もし広大な「無意識」の中にあるデータと私の意識を紐付けているものを無くしてしまったらもうそのデータは取り出せない。検索不能か欠損かも不明。
私は自分のPCの中やサーバー上にあるデータをうまく整理して扱えていないことにフラストレーションを抱えている。
時間がすっぽり抜け落ちてしまうのは大抵PCのディスプレイと向かい合っている時だ。
そうこうしていると忘れごとをする。今度は逆に、私の脳が忘れていて私の外部のデータが覚えている。「健忘」「データ欠損」「検索不能」それぞれ区別がつかなくなる。

とりいそぎのところ私は、gmailを使いやすくするライフハックや、タスクを整理するというタスクを作ったりだとか、たった3つのステップでインスタントコーヒーを美味しくする方法を身につけ、webを手に取れる道具のひとつにおとしこめることで、webの中にいる私を実存に戻してやろうと思う。

この間「(日付)デスクトップが汚いのでとりいそぎ」というフォルダをデスクトップに作って未整理のものをすべてつっこんだ。非常に仕事ができる女である。

薪をくべる(創作)

シェアハウスタイプのアパートに住んでいる。
もとは邸宅だったのを改装してあり、それはそれは広大な庭が備わっている。意匠を凝らしたデザイナーズ物件と並んでインテリア雑誌に特集されることもある。シェアオフィスとしての利便性で入居した在宅ワーカーもいる。共用部の充実がとにかく比ではないのだ。

オーナーの父親がカナダの牧草主で、アパートのほうぼうにオールドカナダな要素があり、母屋になった共用部のリビングには薪ストーブがある。部外者の入室が比較的許されている部屋でもあって冬もクリスマス近場になると誰かしら仲間と薪をくべている。
薪ストーブは暖炉やなんかに比べて慎ましい外見の割におそろしく薪をくう。我々は5月から薪を運びはじめる。
我々とは私とアパートのオーナーだ。
オーナー自ら薪の調達やらメンテナンスやらを好んでやっており、私はそれを手伝う約束を担保にカナディアンウイスキーを貰う。

今日は”薪ストーブおさめ”の日だった。
「こんなものが出てきたよ」
私が雑巾を絞って給湯室から出てくると、灰の処理をしていたオーナーが電車の切符よりわずかばかり大きい銅板をよこした。それは焼けて鈍色の、水たまりに浮いたガソリンのような斑紋ができていた。図柄が精密に繰り抜かれていて、それは海亀がいる夜の海の情景だった。三日月と亀がぽつんと砂浜に取り残されている。満月じゃないから、ただの亀かもしれない。
その線にはカリグラフィのような独特のリズムがあり、切り絵の図版か何かといったところだろうと私は見なした。そんなものがあるのかすら知らないけれど。
他にもブランデーか何かのひしゃげた蓋がふたつと、大ぶりの金属ボタンが出てきた。
「酔っ払って誰か放り込むのかねえ。仕方ないなあ」

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メランコリー、そして終わりのないセロトニン不足

自慰行為っぽいことを書くんだけど、小学生のころ悲しくてどうしようもなくなると「口の無い人ごっこ」してた。
一日じゅう口を開かない、それだけのルール。喋らないし笑わないし食べない、生命の営みをやめてしまった生き物になったのだ(だから何も感じないさ)、という設定のひとりゲーム。
子供ながらに毎回「このまま自分は飢え死にするんだ」と決心するんだけど、精神的に煮詰まってきて一日と待たずにタガが外れて大泣きして終わるのがお決まり。
えずきながら温かいものを食べるとまさに五臓六腑に染み渡る、ああ生きてるっていう実感した。食べてるときも誰の慰めもないんだけどね。勝手に機嫌を損ねて勝手に感動して終了する一人よがりのゲーム。
悲しくてどうしようもなくなった理由だってさしたることじゃなくて「土曜日の午後に雨が降っていてなんとなくうら寂しい心地になった」とか。 あまりある厭世観エピソードのひとつ。 『女生徒』みたいなね。『キャッチャーインザライ』みたいなね。憂鬱な子供ね。
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クレーン!

高層ビルのてっぺんで、紅白の縞模様の鬼のツノみたいに生えてるやつ。クレーン。あれってビルが完成したあとどうやって降ろすのか、考えたことが無かった。
一度意識するようになってからは、あのクレーンにちょっとした畏敬の念さえ覚えるようになりました。大小様々なタイプが街中に散らばっているし、もしあなたに信仰が必要ならば、現代の大仏もしくはトーテムポールとして観光してめぐるのにぴったりなんじゃないかしら。

巨像恐怖症かは分からないけれど、ぱっと開けた視界に、距離感がつかめないくらいの、今にも動き出しそうな巨大な建造物があるとなんとなく脈があがるというか、反射的に逃げられる体制をとってしまう気持ちって分からなくはない。畏怖は畏敬に繋がりますね。古来から人は怖さの由来が分からないものを「崇め」「名前をつける」ことによって克服してきた歴史があり。

最近読んだSF小説に「夜間交換機」っていうのが出てきて、この電話みたいなものは何が未来的かっていうと、ふつう人は目覚めているときに五感で情報を拾って脳内で変換するけれど、このマシンは五感を介さずに情報を交換することができるのね。使うのは寝ている間に限られて、なぜかというと、目覚めている間に五感を介さず情報が頭の中に出現するっていうのは、見当職を失うことであって、トラウマを生むことなんだよね。言葉の隔たりなく情報を交換・共有できるんだから、他国語の翻訳も必要ない未来。憧れるなあ。でもこわいと感じる人もきっと多いよね。本能的な恐怖を克服して人間は近代化してきたなんて言うけれど。
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